けけの備忘録

20代そこそこのいわゆるZ世代。ニュースや日常生活の中で感じたことをエッセイ的に書きます。

横一線教育を見直そう

参考記事

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE2156R0R20C22A7000000/

 

文科省が「ギフテッド」を対象とした実証プログラムを始めるという。

「ギフテッド」は特定の分野などで才能に恵まれた子のことで、わかりやすい指標で言えばIQ130以上の子などだ。もちろん知能指数だけではなく、音楽や芸術なども含まれる。

 

元来、日本は「横一線」を大切にしてきた。一番下をいかにして上げていくか、という発想で授業などは展開されていく。

本の学校では授業についていける子は良くも悪くもそれっきりで、授業についていけない子をどう扱うかを考えてきた。「劣等感」などを感じさせたくないという思いがあるのだろう。

ただ結局、現状のシステムでも卒業した学校の偏差値や学歴によって劣等感を感じている人も少なくない

 

さて、私の小学校6年生の時の話であるが、私は成績優秀だった。

自慢のような書き方になるが、これは私が「ギフテッド」であるという話ではない。

中学受験勉強をしていたため、休日は10時間以上勉強していた。むしろ成績が悪い方がおかしいのである。

 

小学校6年生のクラスだったが、クラスには簡単な足し算や引き算すら危うい子が何人かいた。

先生はそういった子にかかりっきりだ。

同じ進学塾に通っていた子から、一部の私立小学校や、高級住宅街を校区に持つ公立小学校は、授業中に中学受験勉強をしてもいいところがあると聞いていた。

そういった学校に通っている人が学校で受験勉強する間、自分は学校で低学年の頃の復習をしており、「受験に受からない」と焦っていた。

 

そこで、先生に「休み時間だけでも受験勉強させてほしい」と言った。

先生は「ダメだ」の一点張り。理由を聞いても「一人だけ違うことをするのはよくない」とのことだった。

休み時間に一人で違うことをしてはいけないのか、と疑問に思ったが、先生に言われたら逆らえないのが小学生というものだ。

 

結局、教師も合理的な理由なしに横一線の指導をしているのではないのだろうか

 

 

日本は勉強においては、劣等感を抱かせてはいけないと横一線を意識する。

しかし、体育などではチーム競技の際に、運動が苦手な子は白い目で見られたり、嫌な役回り(サッカーでいうとキーパーなど)をさせられる。これで運動に対して劣等感を抱いた経験のある子も多いだろう。結局、学校で劣等感を感じることは避けられないように感じる。

「劣等感を感じないように」という目的設定はあまり効果的でないように思う。

 

 

確かに勉強が苦手な子がある程度できるようにすることは大切だ。簡単な計算やある程度の知識がなければ、間違いなく損をする。しかし、その学習ペースは人それぞれで良い

 

決められたペース」で走らせようとすれば、速い子は能力を十分に発揮できず、遅い子はついていけないだけだ。

大事なのは「適切なペース」で走らせてあげることだ。そのペースメーカーが学校などの教育機関であるべきだ。

 

学術研究などは世界が無限に広がっているが、義務教育にはゴールがある。一歩ずつ進んでいけばゴールにはいつかたどり着くのだ。

 

「個性を大切に」

そう言われて久しいが、個性を大切にするとはどういうことかもう一度考えるべきだと思う。