けけの備忘録

20代そこそこのいわゆるZ世代。ニュースや日常生活の中で感じたことをエッセイ的に書きます。

男子校はなくなるべきか

ここ数年で男子校の数がかなり減少している。女子校も減少しているようだが、男子校はその比ではない。

中高を男子校で過ごした私にとっては、少し寂しいような気がする。

 

男女が別に学ぶというのは時代錯誤かもしれない。だが、その「時代錯誤」だと思われている場所に「現代的な価値観」があったりすると思うのである。

 

 

男子校のメリットを考えてみよう。

単純に思い浮かぶのは、男子校の方が勉強やスポーツなどに集中できるという点だ。

実際、男子校が共学化すると偏差値が下がるといったデータがある。(もちろん偏差値が全てではないが)

 

私の母校も共学化した。だが、単純な大学進学実績からすれば、私や私より上の代の方が良い成績を残している。過渡期だからというのもあるかもしれないが。

 

 

このあたりは男子校に通ったことがなくても想定できる範囲であろう。

 

しかし、これは男子校のメリットとしてはあまり大きくないと思っている。

 

真の男子校のメリットは、

「変わっている」ことにやたら寛容であることだと思う。

 

女子がいないため、セーブしてくれる存在がいない。

そのため、はっちゃけようと思えばいくらでもはっちゃけられる。

それでいて、特に周りから引かれることもない。

 

私が高校生の頃は、授業中に「りぼん」を読んでて怒られたやつとか、美少女イラストばっかり描いているやつ、謎の電磁波装置でアニソンを流しているやつなどがいた。

そんな奴も「浮く」ことはない

なぜなら「浮かせる必要がないから」である。

 

共学であれば、やはり多くの学生は異性の目を気にする。

そうなると「モテる」ことは良く、「モテない」ことは悪いという価値観に少なからずなっている。もちろんそれが悪というわけではない。世の中は実際にそうだから。

 

ただ、「モテない」ことを突き進むと「浮く」のである。そしてモテないことをしている奴を「浮かせようとする」のである。そういった雰囲気の結果、己の道を突き進めなかった子もいたのではないだろうか。

 

男子校では「モテ」などクソくらえである。なぜなら、考えるだけ時間の無駄だからだ。

むしろ「モテ」を気にしている方が周りから奇異の目で見られるかもしれない。

 

だから皆は「変わっている」ことに対して寛容だ。

正直理解できない奴も結構いるが、理解できないからといって特に否定する理由もない

そういう組織なのだ。

 

 

また、男子校出身者は性別による役割の意識が異様に低い。

「ちょっとそこの男子!!」と言って怒るのもまた男子である

 

共学では知らず知らずのうちに男子と女子の立ち位置ができてしまっているところがある。

それは差別とかジェンダー観の話というより「自然と」そうなってしまうのだ。

 

大学での部活でも「自然と」役割分担が発生していたし、それを多くの人が受け入れていた。疑問を呈している人もいたかもしれないが。

 

現代で性差による役割意識が問題視されている中で、逆に異性と接していない男子校の生徒に役割意識がないというのは逆説的だが、実際にそうなのである。

 

 

ここまで聞くと、男子校は「無茶苦茶」な組織なのではないかと思ってしまうかもしれない。

確かに色んな変わった奴が各々好きなことをしている。

しかし全体で見れば意外と統制が取れている。

「変わっている人」を「組織の一部としてうまく取り込む」ことができるのだ。

 

特に、イベントの時などはやたら団結力を発揮する。

そして変わっているが楽しいイベントを作り上げるのである。

 

 

男子校のメリットをだらだら書いたが、当然デメリットもある。

女子と喋るのが苦手なこと、やたら距離感が近いこと、変わっていることの3点だ。

「やたら距離感が近い」というのは、「同性の友達」に対する距離感が近いということだ。

友達とはいえ、完全に自分の素を晒すことはそこまで多くないだろう。

しかし、男子校ではほとんど自分を隠すことがない。

 

いい部分も悪い部分も全て曝け出して(それを適度にディスりあって)仲良くなっていくのが男子校だ。ただ、それを大学以降でやると「距離感が近い」し、下手すれば引かれるのである。

 

最後の「変わっていること」は悪いことではないのだが、やはりマイナスに捉えられがちだ。

今の日本社会は「多様性」という言葉をよく使うが、「本当に変わっている奴」に「多様性」という言葉はあまり使わないと思う。(犯罪者などはもちろん別だ)

この社会における「多様性」は『自分達が理解できる範囲での「多様性」』に終始している気がするのである。それは本当の意味での「多様性」ではないと思う。

 

本来、理解できないものを否定しないために「多様性」という考え方があるのだ。

男子校では理解しようとするだけ無駄である。いちいち理解などしていたら身が持たない。

だが、理解できなくとも否定はしない。このことが重要なのではないか。

 

 

私は男子校は時代錯誤だと思う。私は今でも女性と喋るのはあまり得意ではない(得意なのもそれはそれで怪しい気もするが)し、男ばっかりの方が正直楽だ。そんな奴は現代社会にそぐわない。

 

ただ、一方で男子校の本質的な部分は「時代錯誤」ではなくむしろ「現代的」である。

変わっている人を排除するのではなく、むしろ組織の一部として取り込みながら何かを成し遂げていくその姿は、日本社会にとって必要な考え方ではなかろうか。