2022年7月18日、京都アニメーション放火殺人事件から3年が経った。
今でも時々あの事件のことを思い出すほど、衝撃的で、残酷で、悲しい事件だった。
私は小学生時代から京アニのアニメを見て育ってきた。
京アニの特徴といえば、人々が織りなす群像劇の作品が多い。
作品のキャラクターたちの生き様は、常に私に何らかの生きるヒントを与えてくれていた。
そういった意味では、「育ての親」に近い感覚がある。
そのため、あの事件の時は本当にショックと憤りを感じた。
すぐに「何かしなければ」という思いに駆られた。
当時はまだ大学生だったが、次の日の授業を休んで電車で京都に向かった。
以前の私は正直、献花という行為をすることはないと思っていた。ましてや人生初の献花がこのようなものになるとは想像もしていなかった。
献花のために現場に付くと、衝撃を受けた。
コンクリートの建物が焦げあがっており、その中に人がいたという事実が信じられなかった。
花を捧げ、手を合わせた。しかし、何を祈ればいいのか正直わからなかった。
ただ周囲の嗚咽と啜り泣く声だけが耳に残っていた。
それから一週間は何をしても手がつかないような状況だった。「一人でも多く助かって欲しい」という気持ちと、犯人に対する怒りと、何より自分の無力感に苛まれていた。
そして、高校生の時に恩師が言っていた言葉を思い出した。
「勉強は人助けだ。自分のためであり、人のためにやるものだ。勉強して誰かを助けられる人になるんだ。」
その言葉は私に強く残っており、誰かを助けられる人になりたいと思いながら勉強を頑張っていた。大学ではビジネスを学んでいたが、ビジネスを通して誰かを助けられると信じていた。
でも何もできなかった。事件も防げなかったし、事件の後に大した援助もできなかった。
「自分は何のために勉強しているのだろう」と何度も思った。
自分が多少賢くなろうが、自分が助けたい人を助けられないのなら、それは絵に描いた餅でしかない、と。
3年経った今でも、何かできないかと思う。その一方で、まずは自分が助けるべき相手を見誤ってはいけないな、とも思う。
医者は警察ではないし、警察は医者ではない。人を助けると言っても、そこには適材適所がある。
人は助けたい全員を助けられないから、助ける範囲をそれぞれが決めている。
それが職業というものだ。
当時の自分は助けたい全員を満遍なく助けたいと考えていた。
もちろん今もその気持ちはある。だが、まずは自分に頼ってきてくれる人をしっかり助けられるようにすることが大切だと思う。そのために学び続けていきたい。